オンライン酒蔵留学 レポート記事

【群馬県高崎市・牧野酒造】伝統と革新の日本酒「大盃」は、備蓄米でも化ける。

【群馬県高崎市・牧野酒造】伝統と革新の日本酒「大盃」は、備蓄米でも化ける。

オンライン酒蔵留学レポート(牧野酒造) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、群馬県最古の酒蔵、300年以上の歴史を持つ「牧野酒造」をご紹介いたします♪ 目次 牧野酒造(まきのしゅぞう)について 幕臣「小栗上野介」所縁の酒蔵。牧野酒造の歴史 オンリーワンを目指す18代目社長「牧野顕二郎」社長 マッチョにパスタ!?牧野酒造の挑戦 牧野酒造のウイスキー「倉渕(くらぶち)」 牧野酒造の挑戦!備蓄米の日本酒を紹介♪ 大盃(おおさかずき) 古古古古古米 牧野酒造Q&A まとめ オンライン酒蔵留学に参加するには? 牧野酒造(まきのしゅぞう)について ※牧野酒造外観 画像引用元:牧野酒造Instagram 「そんな米で酒が造れるわけがない」日本酒業界の誰もが首を振ったその挑戦を引き受けた、そんな蔵の社長がいます。群馬県高崎市の山あい、榛名山の麓にひっそりと佇む牧野酒造。元禄三年(1690年)創業、群馬県最古の歴史を持つ酒蔵でもあります。この老舗を現在率いる18代目・牧野顕二郎(まきのけんじろう)社長ですが、もともとは日本酒自体にあまり興味がない若者でした。そんな牧野社長は今や、誰もやりたがらない挑戦にまで手を挙げ、次々に日本酒の固定化されたイメージを打ち破る酒を醸しています。一体、何があったのでしょうか。例えば、のちにご紹介する、日本酒の静謐なイメージとはかけ離れた、筋肉をイメージした「マッチョ」シリーズや"パスタに合わせるための日本酒"。自社蒸留のウイスキーなど、老舗蔵に胡坐をかかないどころか、日本酒のイメージを刷新する酒造りに挑んでいます。そしてそんな社長の先に待っていたのが、5年前の備蓄米で醸した常識破りの一本。「みんなが無理だと言う中でも、自分ならできるなっていうギリギリのところがいい」と、 笑いながら語る社長の言葉の裏には、336年の伝統を背負いながらも「人と違うこと」を追い求め続ける姿勢がありました。この記事では、牧野酒造の歴史から社長の素顔、そして常識を覆す挑戦の数々を、オンライン酒蔵留学で伺ったお話をもとにお届けします。きっとあなたも牧野酒造のお酒を手に取りたくなっているはずです。 幕臣「小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)」所縁の酒蔵。牧野酒造の歴史 ※牧野酒造外観 画像引用元:牧野酒造Instagram 今から336年前の元禄三年(1690年)。初代・牧野長兵衛(まきのちょうべえ)が、現在の群馬県高崎市倉渕町権田の地で酒造りを始めたのが、そのはじまりとなります。ここは上毛三山のひとつ・榛名山の山麓から湧き出る清冽な伏流水と、上州名物のからっ風が吹きすさぶ厳寒の気候。18代目・牧野社長は、「うちの蔵がこの県内で1番古い蔵だっていうことは、やっぱりここの立地だとかいろんな条件があってこそ、今に至っているんだと思います」と、この土地の持つ力を語ってくれました。そもそも創業当初の銘柄名は「長盛(ちょうせい)」。「長く栄える」という願いを込めた名前で、江戸時代を通じてこの地の人々に親しまれてきました。しかし、銘柄名が変わる大きな転機が訪れることになります。時は幕末。万延元年(1860年代)のこと。幕府の勘定奉行であった小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)が、日米修好通商条約の批准のためにアメリカへ渡航することになりました。これは今でいう、自由貿易の交渉であったり、関税交渉、さらには日本で罪を犯したアメリカ人をアメリカの法律で裁くといった、かなり重要な外交の場です。そこになんと、その遣米使節団に牧野家の先祖が随行したのです。なぜ、随行させたのか?それは、小栗上野介の領地内で、豪農・酒造家であった牧野家と極めて深い信頼関係があったためでした。渡米する際も、牧野家が造った地酒をアメリカへ持参したと言い伝えられています。では、これが、銘柄名が変わるきっかけになったというのは、どういうことでしょうか。これは、帰国してからの出来事のようです。社長曰く、「やはり、当時の船旅は危険なものです。だから、無事アメリカから帰ってきた際に大きい盃で祝盃を上げたということから、『大盃(おおさかずき)』という銘柄に改銘して現在に至るんです」とのこと。命がけの航海から無事に帰還した喜びを、大きな盃に注いだ祝い酒——。「大盃」には、そんな歴史とこの国の大きな変革に携わった人々がからみあった、壮大なドラマが刻まれていると言えます。ちなみに、牧野酒造の公式Webサイトには、使節団一行がアメリカの役人たちと映っている写真が掲載されています。使節団は、着物姿で刀を差しており、髷を結った姿。まだ武士が存在していた時代であることがよくわかります。ただ当時、豪農であった牧野家ではありますが、創業当時からの336年の歩みは決して順風満帆ではありませんでした。長い歴史のその間には、飢饉、戦争、経済恐慌。幾度となく時代の荒波が押し寄せてきました。しかし牧野酒造は生き抜いてきた。その理由を、 「330年の歴史の中にはもっと今以上のことが多分何度もあったんだと思うんです。でもそれを乗り越えて今に続いているっていうことは、やはり、その都度チャレンジをして、新しい時代の転換に対応してきたということだと思います」と、牧野社長は語ります。ただ伝統を守るだけでは生き残れない。時代ごとに社長が「変わる勇気」を持ち続けてきたからこそ、群馬最古の暖簾を守り抜くことができている、と。そんな社長の言葉からは、先人たちへの深い敬意がにじみ出ていました。ちなみに、先にご紹介した牧野家のご先祖が随行した小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)は2027年のNHK大河ドラマの主人公(主演:松坂桃李さん)として描かれることが決定しています。彼の業績ですが、①1860年、日本初の遣米使節の目付役としてアメリカへ渡り、世界を一周。②巨額費用がかかる横須賀製鉄所(造船所)の建設をフランスの協力で進める。③郵便制度や鉄道建設、近代的な軍隊の整備などを提唱。など、日本の近代化に多大なる貢献をした天才的な幕臣だったのです。牧野酒造ではドラマ化の発表を受けて、いち早く「小栗上野介所縁の酒」を発売しています。 「やはり地元の蔵として何かやらなければと思って、発表があってすぐ取りかかりました」と、ここでも多様な変化に対応してきた、持ち前のフットワークの軽さを発揮しています。 さて、元禄の創業から幕末の改銘、そして令和の今になり、 「大盃」という銘柄には、時代を超えて杯を交わし、喜びを分かち合う——そんな人々の営みが刻まれているのです。 ※大盃...

【群馬県高崎市・牧野酒造】伝統と革新の日本酒「大盃」は、備蓄米でも化ける。

オンライン酒蔵留学レポート(牧野酒造) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、群馬県最古の酒蔵、300年以上の歴史を持つ「牧野酒造」をご紹介いたします♪ 目次 牧野酒造(まきのしゅぞう)について 幕臣「小栗上野介」所縁の酒蔵。牧野酒造の歴史 オンリーワンを目指す18代目社長「牧野顕二郎」社長 マッチョにパスタ!?牧野酒造の挑戦 牧野酒造のウイスキー「倉渕(くらぶち)」 牧野酒造の挑戦!備蓄米の日本酒を紹介♪ 大盃(おおさかずき) 古古古古古米 牧野酒造Q&A まとめ オンライン酒蔵留学に参加するには? 牧野酒造(まきのしゅぞう)について ※牧野酒造外観 画像引用元:牧野酒造Instagram 「そんな米で酒が造れるわけがない」日本酒業界の誰もが首を振ったその挑戦を引き受けた、そんな蔵の社長がいます。群馬県高崎市の山あい、榛名山の麓にひっそりと佇む牧野酒造。元禄三年(1690年)創業、群馬県最古の歴史を持つ酒蔵でもあります。この老舗を現在率いる18代目・牧野顕二郎(まきのけんじろう)社長ですが、もともとは日本酒自体にあまり興味がない若者でした。そんな牧野社長は今や、誰もやりたがらない挑戦にまで手を挙げ、次々に日本酒の固定化されたイメージを打ち破る酒を醸しています。一体、何があったのでしょうか。例えば、のちにご紹介する、日本酒の静謐なイメージとはかけ離れた、筋肉をイメージした「マッチョ」シリーズや"パスタに合わせるための日本酒"。自社蒸留のウイスキーなど、老舗蔵に胡坐をかかないどころか、日本酒のイメージを刷新する酒造りに挑んでいます。そしてそんな社長の先に待っていたのが、5年前の備蓄米で醸した常識破りの一本。「みんなが無理だと言う中でも、自分ならできるなっていうギリギリのところがいい」と、 笑いながら語る社長の言葉の裏には、336年の伝統を背負いながらも「人と違うこと」を追い求め続ける姿勢がありました。この記事では、牧野酒造の歴史から社長の素顔、そして常識を覆す挑戦の数々を、オンライン酒蔵留学で伺ったお話をもとにお届けします。きっとあなたも牧野酒造のお酒を手に取りたくなっているはずです。 幕臣「小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)」所縁の酒蔵。牧野酒造の歴史 ※牧野酒造外観 画像引用元:牧野酒造Instagram 今から336年前の元禄三年(1690年)。初代・牧野長兵衛(まきのちょうべえ)が、現在の群馬県高崎市倉渕町権田の地で酒造りを始めたのが、そのはじまりとなります。ここは上毛三山のひとつ・榛名山の山麓から湧き出る清冽な伏流水と、上州名物のからっ風が吹きすさぶ厳寒の気候。18代目・牧野社長は、「うちの蔵がこの県内で1番古い蔵だっていうことは、やっぱりここの立地だとかいろんな条件があってこそ、今に至っているんだと思います」と、この土地の持つ力を語ってくれました。そもそも創業当初の銘柄名は「長盛(ちょうせい)」。「長く栄える」という願いを込めた名前で、江戸時代を通じてこの地の人々に親しまれてきました。しかし、銘柄名が変わる大きな転機が訪れることになります。時は幕末。万延元年(1860年代)のこと。幕府の勘定奉行であった小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)が、日米修好通商条約の批准のためにアメリカへ渡航することになりました。これは今でいう、自由貿易の交渉であったり、関税交渉、さらには日本で罪を犯したアメリカ人をアメリカの法律で裁くといった、かなり重要な外交の場です。そこになんと、その遣米使節団に牧野家の先祖が随行したのです。なぜ、随行させたのか?それは、小栗上野介の領地内で、豪農・酒造家であった牧野家と極めて深い信頼関係があったためでした。渡米する際も、牧野家が造った地酒をアメリカへ持参したと言い伝えられています。では、これが、銘柄名が変わるきっかけになったというのは、どういうことでしょうか。これは、帰国してからの出来事のようです。社長曰く、「やはり、当時の船旅は危険なものです。だから、無事アメリカから帰ってきた際に大きい盃で祝盃を上げたということから、『大盃(おおさかずき)』という銘柄に改銘して現在に至るんです」とのこと。命がけの航海から無事に帰還した喜びを、大きな盃に注いだ祝い酒——。「大盃」には、そんな歴史とこの国の大きな変革に携わった人々がからみあった、壮大なドラマが刻まれていると言えます。ちなみに、牧野酒造の公式Webサイトには、使節団一行がアメリカの役人たちと映っている写真が掲載されています。使節団は、着物姿で刀を差しており、髷を結った姿。まだ武士が存在していた時代であることがよくわかります。ただ当時、豪農であった牧野家ではありますが、創業当時からの336年の歩みは決して順風満帆ではありませんでした。長い歴史のその間には、飢饉、戦争、経済恐慌。幾度となく時代の荒波が押し寄せてきました。しかし牧野酒造は生き抜いてきた。その理由を、 「330年の歴史の中にはもっと今以上のことが多分何度もあったんだと思うんです。でもそれを乗り越えて今に続いているっていうことは、やはり、その都度チャレンジをして、新しい時代の転換に対応してきたということだと思います」と、牧野社長は語ります。ただ伝統を守るだけでは生き残れない。時代ごとに社長が「変わる勇気」を持ち続けてきたからこそ、群馬最古の暖簾を守り抜くことができている、と。そんな社長の言葉からは、先人たちへの深い敬意がにじみ出ていました。ちなみに、先にご紹介した牧野家のご先祖が随行した小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)は2027年のNHK大河ドラマの主人公(主演:松坂桃李さん)として描かれることが決定しています。彼の業績ですが、①1860年、日本初の遣米使節の目付役としてアメリカへ渡り、世界を一周。②巨額費用がかかる横須賀製鉄所(造船所)の建設をフランスの協力で進める。③郵便制度や鉄道建設、近代的な軍隊の整備などを提唱。など、日本の近代化に多大なる貢献をした天才的な幕臣だったのです。牧野酒造ではドラマ化の発表を受けて、いち早く「小栗上野介所縁の酒」を発売しています。 「やはり地元の蔵として何かやらなければと思って、発表があってすぐ取りかかりました」と、ここでも多様な変化に対応してきた、持ち前のフットワークの軽さを発揮しています。 さて、元禄の創業から幕末の改銘、そして令和の今になり、 「大盃」という銘柄には、時代を超えて杯を交わし、喜びを分かち合う——そんな人々の営みが刻まれているのです。 ※大盃...

Cultiva 糸島醸造所 どぶろく 日本酒 福岡 ハンズオンSAKE オンライン酒蔵留学

【福岡県糸島市・Cultiva糸島醸造所】酒米テロワール”でお酒の多様性を表現

オンライン酒蔵留学レポート(Cultiva) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、2024年、福岡県糸島市に新たに誕生したばかりのどぶろく醸造所「Cultiva(カルティヴァ)」をご紹介いたします! Cultiva(カルティヴァ)糸島醸造所について 酒屋さんの棚にずらりと並ぶボトルを眺め、「せっかくなら、造り手の想いがぎゅっと詰まった1本に出会いたいな」と思いつつ、 なんとなくこれが有名だからとか、この酒米を使っていれば間違いないだろうと、選んでしまうこと、ありませんか?今回は、日本酒初心者の方から「自分の好みが少しわかってきたかも」という方まで、お酒選びの新しい視点をくれるユニークな醸造所をご紹介。福岡県・糸島市で「米の違いを酒の違いに」というコンセプトを掲げる新進気鋭のどぶろく醸造所「Cultiva(カルティヴァ)糸島醸造所」です。代表の副田大介さんは、大学院で微生物を研究し、大手酒造メーカーで研究職として活躍してきた「技術士」という異色の経歴の持ち主。そのため、Cultivaのお酒造りは「お酒を科学する」という非常に鋭く、ロジカルな視点を持っています。でも、Cultivaが他と一線を画しているのは、"ただ理詰めでお酒を造っているわけではないところ"です。副田代表の根底にあるのは、「とにかく美味しいお酒を飲んでほしい!」という純粋で熱い想い。データや研究に基づいた科学的なアプローチを取り入れつつも、そこには科学だけでは決して割り切れない「飲む人」や「お米を育てる農家さん」への深い愛情とリスペクトが、体現されています!研究者としての探究心と、造り手としての温かい想いが交差するCultivaのお酒。今回は、副田代表のこれまでの歩みや独自のコンセプト、そして今まさに挑もうとしている新プロジェクトまで、その魅力と世界観をお届けします。

【福岡県糸島市・Cultiva糸島醸造所】酒米テロワール”でお酒の多様性を表現

オンライン酒蔵留学レポート(Cultiva) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、2024年、福岡県糸島市に新たに誕生したばかりのどぶろく醸造所「Cultiva(カルティヴァ)」をご紹介いたします! Cultiva(カルティヴァ)糸島醸造所について 酒屋さんの棚にずらりと並ぶボトルを眺め、「せっかくなら、造り手の想いがぎゅっと詰まった1本に出会いたいな」と思いつつ、 なんとなくこれが有名だからとか、この酒米を使っていれば間違いないだろうと、選んでしまうこと、ありませんか?今回は、日本酒初心者の方から「自分の好みが少しわかってきたかも」という方まで、お酒選びの新しい視点をくれるユニークな醸造所をご紹介。福岡県・糸島市で「米の違いを酒の違いに」というコンセプトを掲げる新進気鋭のどぶろく醸造所「Cultiva(カルティヴァ)糸島醸造所」です。代表の副田大介さんは、大学院で微生物を研究し、大手酒造メーカーで研究職として活躍してきた「技術士」という異色の経歴の持ち主。そのため、Cultivaのお酒造りは「お酒を科学する」という非常に鋭く、ロジカルな視点を持っています。でも、Cultivaが他と一線を画しているのは、"ただ理詰めでお酒を造っているわけではないところ"です。副田代表の根底にあるのは、「とにかく美味しいお酒を飲んでほしい!」という純粋で熱い想い。データや研究に基づいた科学的なアプローチを取り入れつつも、そこには科学だけでは決して割り切れない「飲む人」や「お米を育てる農家さん」への深い愛情とリスペクトが、体現されています!研究者としての探究心と、造り手としての温かい想いが交差するCultivaのお酒。今回は、副田代表のこれまでの歩みや独自のコンセプト、そして今まさに挑もうとしている新プロジェクトまで、その魅力と世界観をお届けします。

【東京都青梅市・小澤酒造】日本酒「澤乃井」の魅力は奥多摩の”時間”と”水”。

【東京都青梅市・小澤酒造】日本酒「澤乃井」の魅力は奥多摩の”時間”と”水”。

オンライン酒蔵留学レポート(小澤酒造) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、300年以上の歴史を持つ東京奥多摩の酒蔵「小澤酒造」をご紹介いたします♪ 小澤酒造(おざわしゅぞう)について まず「東京の日本酒」と聞いて、思い浮かぶのはどんな銘柄でしょうか。もし「澤乃井(さわのい)」の名前がふっと浮かんだなら、あなたはきっと日本酒がお好きな方に違いありません。居酒屋や和食店で一度は目にしたことがある「澤乃井(さわのい)」。それぐらい日本酒好きにはメジャーなお酒ですでも、いざ作り手のこだわりや、東京で300年以上も続いている酒蔵であるという歴史、奥多摩の風土など、意外と知らないことばかりではないでしょうか。親しみやすいお酒だからこそ、意外とその裏側にあるストーリーは語られる機会が少ないものです。今回は、23代続く小澤酒造の知られざる歴史から、現代を切り拓く23代目蔵元・小澤幹夫(おざわ みきお)社長の哲学、そして観光酒蔵の魅力をご紹介します!奥多摩の澤乃井の蔵を訪ねてみたくなるはずです。

【東京都青梅市・小澤酒造】日本酒「澤乃井」の魅力は奥多摩の”時間”と”水”。

オンライン酒蔵留学レポート(小澤酒造) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、300年以上の歴史を持つ東京奥多摩の酒蔵「小澤酒造」をご紹介いたします♪ 小澤酒造(おざわしゅぞう)について まず「東京の日本酒」と聞いて、思い浮かぶのはどんな銘柄でしょうか。もし「澤乃井(さわのい)」の名前がふっと浮かんだなら、あなたはきっと日本酒がお好きな方に違いありません。居酒屋や和食店で一度は目にしたことがある「澤乃井(さわのい)」。それぐらい日本酒好きにはメジャーなお酒ですでも、いざ作り手のこだわりや、東京で300年以上も続いている酒蔵であるという歴史、奥多摩の風土など、意外と知らないことばかりではないでしょうか。親しみやすいお酒だからこそ、意外とその裏側にあるストーリーは語られる機会が少ないものです。今回は、23代続く小澤酒造の知られざる歴史から、現代を切り拓く23代目蔵元・小澤幹夫(おざわ みきお)社長の哲学、そして観光酒蔵の魅力をご紹介します!奥多摩の澤乃井の蔵を訪ねてみたくなるはずです。

月の輪酒造店 日本酒 酒蔵 岩手県 紫波町 ハンズオンsake オンライン酒蔵留学

【岩手県紫波町・月の輪酒造店】日本酒「月の輪」とジェラートが紫波町を元気にする!

オンライン酒蔵留学レポート(月の輪酒造店) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、南部杜氏発祥の地に蔵を構える「月の輪酒造店」をご紹介いたします♪ 月の輪酒造店(つきのわしゅぞうてん)について 岩手県紫波町。日本三大杜氏のひとつ【南部杜氏】発祥の地として知られるこの町に、明治19年(1886年)の創業以来、静かに、そして確かに酒を醸し続けている蔵があります。それが「月の輪酒造店(つきのわしゅぞうてん)」です。1991年に現会長(横沢裕子(よこさわひろこ)杜氏の父)がオーナーから社長という形で経営を引き継ぎ、2005年には裕子さんが杜氏に就任し、2015年からは夫の孝之さんが代表を務めています。親子から娘へ。そして夫婦二人三脚で、家業としての酒造りを絶やさず受け継いできた貴重な蔵です。さらにこの蔵の歴史をたどっていくと、その一つひとつに、土地の伝承と人の想いが折り重なっていることに気づかされます。―池に映った月が導いた、「月の輪」という名前―蔵から車で5分ほどの場所に、「月の輪」という地名の由来となった史跡が今も残っています。平安時代後期、「前九年の役」の際にこの地を訪れた源頼義・義家の父子が、陣を敷くために水を必要とし、池を掘らせたのだそうです。すると、その池の水面に月が映り込み、月光を受けてきらきらと輝いた。頼義たちはこれを戦勝の吉兆だと受け止め、実際に勝利を収めたと伝えられています。この池のほとりで起きた出来事が「月の輪」という地名として残り、蔵の名前の由来になりました。蔵元ご夫婦いわく、この由来は本来「熊」とは関係ないのだそう。それでも「月の輪=ツキノワグマ」という語感の面白さから、蔵のロゴやラベルには熊にちなんだデザインを取り入れています。紫波町は、盛岡と花巻に挟まれた岩手県の内陸中央部に位置しており、数多くの酒蔵が集まる「酒の町」としても知られています。日本酒だけでなくワイナリーを構える造り手もあり、町全体が酒どころとしての顔を持っていて、さらに交通の便も良いので、蔵をめぐりながら岩手の酒文化にじっくり浸れるんです!わかさや酒造店から、月の輪酒造店へ――百十余年の歩みもともと横沢家は、水沢方面からこの地にやってきた一族でした。酒蔵の屋号は当初「わかさや酒造店」といい、横沢家の4代目当主が酒造りへの情熱から創業したのが始まりです。今の蔵の建物も築116年という年季の入ったもので、その古さがそのまま蔵の歴史の重みを物語っています。こんな酒どころである地にある「月の輪酒造店」は、「南部杜氏発祥の地」の中でも、家業としての酒造りを大切に守り続けてきたのと同時に、地域との一体感を大切にしてきた蔵のひとつであると言えます。

【岩手県紫波町・月の輪酒造店】日本酒「月の輪」とジェラートが紫波町を元気にする!

オンライン酒蔵留学レポート(月の輪酒造店) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、南部杜氏発祥の地に蔵を構える「月の輪酒造店」をご紹介いたします♪ 月の輪酒造店(つきのわしゅぞうてん)について 岩手県紫波町。日本三大杜氏のひとつ【南部杜氏】発祥の地として知られるこの町に、明治19年(1886年)の創業以来、静かに、そして確かに酒を醸し続けている蔵があります。それが「月の輪酒造店(つきのわしゅぞうてん)」です。1991年に現会長(横沢裕子(よこさわひろこ)杜氏の父)がオーナーから社長という形で経営を引き継ぎ、2005年には裕子さんが杜氏に就任し、2015年からは夫の孝之さんが代表を務めています。親子から娘へ。そして夫婦二人三脚で、家業としての酒造りを絶やさず受け継いできた貴重な蔵です。さらにこの蔵の歴史をたどっていくと、その一つひとつに、土地の伝承と人の想いが折り重なっていることに気づかされます。―池に映った月が導いた、「月の輪」という名前―蔵から車で5分ほどの場所に、「月の輪」という地名の由来となった史跡が今も残っています。平安時代後期、「前九年の役」の際にこの地を訪れた源頼義・義家の父子が、陣を敷くために水を必要とし、池を掘らせたのだそうです。すると、その池の水面に月が映り込み、月光を受けてきらきらと輝いた。頼義たちはこれを戦勝の吉兆だと受け止め、実際に勝利を収めたと伝えられています。この池のほとりで起きた出来事が「月の輪」という地名として残り、蔵の名前の由来になりました。蔵元ご夫婦いわく、この由来は本来「熊」とは関係ないのだそう。それでも「月の輪=ツキノワグマ」という語感の面白さから、蔵のロゴやラベルには熊にちなんだデザインを取り入れています。紫波町は、盛岡と花巻に挟まれた岩手県の内陸中央部に位置しており、数多くの酒蔵が集まる「酒の町」としても知られています。日本酒だけでなくワイナリーを構える造り手もあり、町全体が酒どころとしての顔を持っていて、さらに交通の便も良いので、蔵をめぐりながら岩手の酒文化にじっくり浸れるんです!わかさや酒造店から、月の輪酒造店へ――百十余年の歩みもともと横沢家は、水沢方面からこの地にやってきた一族でした。酒蔵の屋号は当初「わかさや酒造店」といい、横沢家の4代目当主が酒造りへの情熱から創業したのが始まりです。今の蔵の建物も築116年という年季の入ったもので、その古さがそのまま蔵の歴史の重みを物語っています。こんな酒どころである地にある「月の輪酒造店」は、「南部杜氏発祥の地」の中でも、家業としての酒造りを大切に守り続けてきたのと同時に、地域との一体感を大切にしてきた蔵のひとつであると言えます。

上勝開拓団 酒蔵 エルミタージュ どぶろく こめしゅ ハンズオンsake オンライン酒蔵留学

【徳島県上勝町・上勝開拓団】どぶろくを”こめしゅ”へアップデート!

オンライン酒蔵留学レポート(上勝開拓団エルミタージュ・バレー酒ブリュワリー) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、徳島県上勝町にある上勝開拓団が運営する酒蔵「エルミタージュ・バレー酒ブリュワリー」をご紹介いたします♪ 上勝開拓団(かみかつかいたくだん)について 日本一楽しい村を作る――徳島県の山奥に、目を見張る美しい棚田が広がり、澄んだ空気が漂う自然豊かな場所があります。そこは、棚田百選に選ばれた徳島県上勝町(かみかつちょう)。また、この地は環境意識が高く、「ゴミゼロ」を掲げ、環境保全の取り組みで知られる町でもあります。2022年7月、この静かな山あいの集落に小さな酒蔵が誕生しました。その名は「上勝開拓団(かみかかつかいたくだん)が運営する、「エルミタージュバレー・酒ブルワリー」。酒蔵が建つのは、標高約400メートルの山あいにある「庵ノ谷(あんのたに)」という小さな集落。築300年の古民家を活用した酒蔵では、上勝町の棚田で育てられた米と山の天然水を使い、どぶろくやリキュールが醸されています。正式には日本酒ではなく、醸す酒が「どぶろくであることが最もユニークな点です。そして、さらに彼らが掲げ、実際に手掛けているのは、どぶろくの常識を軽やかに飛び越える、新感覚の「米酒(こめしゅ)」。どぶろくを進化させた酒です。一方で、さらに興味深いのは、この地で事業を興し、地元を盛り上げ、酒造りを始めた人物のこと。後継ぎでもなく、この地の生まれでもなく、酒造りに縁があるわけでもない。まったく真逆と言ってもいい世界にいた――大都会のテレビ業界の第一線で活躍していた人物。株式会社「上勝開拓団代表取締役」の「仁木啓介(にきけいすけ)」氏です。仁木代表が、この上勝町とつながった歩みを見ると、"やはり人の縁、地との縁とは本当に不思議"で、人生に偶然などないのかもしれない、と感じてしまいます。ただそんな上勝町も、人口減少や高齢化が進んでおり、空き家や耕作放棄地が多い地域となっています。しかし、上勝町の人々のパワーを感じた仁木代表は、「移住者もパワーやスキルを身につけ、空き家や耕作放棄地を自分たちの夢みる姿に変えていこう!」という想いを抱き、「株式会社 上勝開拓団」を立ち上げ、まず集落の古民家を借りてBarを始めることになります。 そんな、上勝町に惚れ込んだ「上勝開拓団」代表取締役:仁木代表と、日本の美しい風景が残る地で醸されている酒と、代表の強い地域愛を一つずつ紐解いていきます!

【徳島県上勝町・上勝開拓団】どぶろくを”こめしゅ”へアップデート!

オンライン酒蔵留学レポート(上勝開拓団エルミタージュ・バレー酒ブリュワリー) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、徳島県上勝町にある上勝開拓団が運営する酒蔵「エルミタージュ・バレー酒ブリュワリー」をご紹介いたします♪ 上勝開拓団(かみかつかいたくだん)について 日本一楽しい村を作る――徳島県の山奥に、目を見張る美しい棚田が広がり、澄んだ空気が漂う自然豊かな場所があります。そこは、棚田百選に選ばれた徳島県上勝町(かみかつちょう)。また、この地は環境意識が高く、「ゴミゼロ」を掲げ、環境保全の取り組みで知られる町でもあります。2022年7月、この静かな山あいの集落に小さな酒蔵が誕生しました。その名は「上勝開拓団(かみかかつかいたくだん)が運営する、「エルミタージュバレー・酒ブルワリー」。酒蔵が建つのは、標高約400メートルの山あいにある「庵ノ谷(あんのたに)」という小さな集落。築300年の古民家を活用した酒蔵では、上勝町の棚田で育てられた米と山の天然水を使い、どぶろくやリキュールが醸されています。正式には日本酒ではなく、醸す酒が「どぶろくであることが最もユニークな点です。そして、さらに彼らが掲げ、実際に手掛けているのは、どぶろくの常識を軽やかに飛び越える、新感覚の「米酒(こめしゅ)」。どぶろくを進化させた酒です。一方で、さらに興味深いのは、この地で事業を興し、地元を盛り上げ、酒造りを始めた人物のこと。後継ぎでもなく、この地の生まれでもなく、酒造りに縁があるわけでもない。まったく真逆と言ってもいい世界にいた――大都会のテレビ業界の第一線で活躍していた人物。株式会社「上勝開拓団代表取締役」の「仁木啓介(にきけいすけ)」氏です。仁木代表が、この上勝町とつながった歩みを見ると、"やはり人の縁、地との縁とは本当に不思議"で、人生に偶然などないのかもしれない、と感じてしまいます。ただそんな上勝町も、人口減少や高齢化が進んでおり、空き家や耕作放棄地が多い地域となっています。しかし、上勝町の人々のパワーを感じた仁木代表は、「移住者もパワーやスキルを身につけ、空き家や耕作放棄地を自分たちの夢みる姿に変えていこう!」という想いを抱き、「株式会社 上勝開拓団」を立ち上げ、まず集落の古民家を借りてBarを始めることになります。 そんな、上勝町に惚れ込んだ「上勝開拓団」代表取締役:仁木代表と、日本の美しい風景が残る地で醸されている酒と、代表の強い地域愛を一つずつ紐解いていきます!

【佐賀県鹿島市・馬場酒造場】日本酒「能古見」は佐賀の文化に根差し、継続する。

【佐賀県鹿島市・馬場酒造場】日本酒「能古見」は佐賀の文化に根差し、継続する。

オンライン酒蔵留学レポート(馬場酒造場) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、代表酒「能古見」(のごみ)をヒットさせた佐賀県鹿島市の馬場酒造場をご紹介いたします♪ 馬場酒造場について 馬場酒造場は、佐賀県鹿島市に蔵を構える老舗酒蔵。代表銘柄「能古見(のごみ)」を中心に、地域に根ざした酒造りを大切にしながら、長い年月にわたって歩みを続けてきました。その歴史は1795年(寛政7年)に初代、馬場夘左衛門が創業したことにより始まり、佐賀県内でも特に長い歴史を持つ酒蔵のひとつとして知られていると同時に、厳しい時代ごとの変化に向き合いながら、今の姿へと受け継がれてきました。「お客様より信頼される蔵元でありたい」というモットーを掲げている馬場酒造場の酒造りを貫いているのは、「地酒とは、その土地の文化を映す鏡である」という考え方。例えば、仕込み水には「肥前耶馬渓」とも呼ばれる多良岳山系の清らかな伏流水を使用しており、多くの人が水を汲みに訪れるというこの弱軟水の名水と、地元産の米、そして蔵人の精魂を注ぐ技が合わさることで、唯一無二の酒が醸されます。また有明海と山々に囲まれた鹿島の自然環境の中で、とりわけ農業との関係性をとても大切にしています。その象徴のひとつが、地元農家との連携による酒米づくりです。それは「誰がどこで米を作っているのか」という原点でもあり、地域の農家とともに酒米を育てることは、この鹿島の自然を未来に渡すということにもなるのです。さらに、農業と密に連携をするということは、「持続可能な酒造り」ということにもつながっています。例えば、田んぼとは、単に米を生み出す場所ではなく、水を蓄え、生物の住処にもなり、また地滑りなどを防ぎ、地域の暮らしを支える様々な役割も担っています。そうした田んぼの多面的な価値に目を向けながら、「酒米づくりを循環の中で捉えている」のです。馬場酒造場は、酒造りも、田んぼも、自然環境もすべてひとつながり、という自然の恵みを意識した酒を醸しているのです。その流れの中、環境保全に積極的に取り組んでおり、「のごみ ご縁」という酒の売上の一部を有明海流域の環境保全活動へ寄付をしています。 農家、自然、酒蔵。 そのすべてが循環する仕組みを酒を通じて支えようとしているのです。 そんな背景を持ち、新しい取り組みをしつつ、その根底にあるのは、お客様に「美味しい」「また飲みたい」と思ってもらえる酒造り。大量生産を一切行わず、品質を完全に管理できる量だけを丁寧に醸造しています。

【佐賀県鹿島市・馬場酒造場】日本酒「能古見」は佐賀の文化に根差し、継続する。

オンライン酒蔵留学レポート(馬場酒造場) オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方の酒蔵さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒体験型サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、代表酒「能古見」(のごみ)をヒットさせた佐賀県鹿島市の馬場酒造場をご紹介いたします♪ 馬場酒造場について 馬場酒造場は、佐賀県鹿島市に蔵を構える老舗酒蔵。代表銘柄「能古見(のごみ)」を中心に、地域に根ざした酒造りを大切にしながら、長い年月にわたって歩みを続けてきました。その歴史は1795年(寛政7年)に初代、馬場夘左衛門が創業したことにより始まり、佐賀県内でも特に長い歴史を持つ酒蔵のひとつとして知られていると同時に、厳しい時代ごとの変化に向き合いながら、今の姿へと受け継がれてきました。「お客様より信頼される蔵元でありたい」というモットーを掲げている馬場酒造場の酒造りを貫いているのは、「地酒とは、その土地の文化を映す鏡である」という考え方。例えば、仕込み水には「肥前耶馬渓」とも呼ばれる多良岳山系の清らかな伏流水を使用しており、多くの人が水を汲みに訪れるというこの弱軟水の名水と、地元産の米、そして蔵人の精魂を注ぐ技が合わさることで、唯一無二の酒が醸されます。また有明海と山々に囲まれた鹿島の自然環境の中で、とりわけ農業との関係性をとても大切にしています。その象徴のひとつが、地元農家との連携による酒米づくりです。それは「誰がどこで米を作っているのか」という原点でもあり、地域の農家とともに酒米を育てることは、この鹿島の自然を未来に渡すということにもなるのです。さらに、農業と密に連携をするということは、「持続可能な酒造り」ということにもつながっています。例えば、田んぼとは、単に米を生み出す場所ではなく、水を蓄え、生物の住処にもなり、また地滑りなどを防ぎ、地域の暮らしを支える様々な役割も担っています。そうした田んぼの多面的な価値に目を向けながら、「酒米づくりを循環の中で捉えている」のです。馬場酒造場は、酒造りも、田んぼも、自然環境もすべてひとつながり、という自然の恵みを意識した酒を醸しているのです。その流れの中、環境保全に積極的に取り組んでおり、「のごみ ご縁」という酒の売上の一部を有明海流域の環境保全活動へ寄付をしています。 農家、自然、酒蔵。 そのすべてが循環する仕組みを酒を通じて支えようとしているのです。 そんな背景を持ち、新しい取り組みをしつつ、その根底にあるのは、お客様に「美味しい」「また飲みたい」と思ってもらえる酒造り。大量生産を一切行わず、品質を完全に管理できる量だけを丁寧に醸造しています。